令について
新元号の“令和”は万葉集の序文~「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ・・・」を典拠としたとされています。令月とは旧暦二月を指し、古くは中国における儒家において“周(しゅう)礼(らい)”、“礼記(らいき)”とともに“三礼(らい)”のひとつとされる“儀礼(ぎらい)”の中で男子の成人儀式について記された“士冠礼”篇に“令月吉日,始加元服。・・・”とみえ、“めでたい月”とか“何をするにも良い月”という意味があるとされています。
ただし本来“令”という字は、後漢の時代の説文解字には「令とは号を発するなり」とあり、“号令”や“指令”という使い方をみてもわかるとおり大勢に対して指図するという意味があります。中国哲学的に考えれば周の時代の成立ともいわれる“儀礼(ぎらい)”において“令月”と記されているとすれば、これは宇宙というか大自然を主っている造物者とも神ともよばれる存在の意志がはたらいているというニュアンスになります。二月は春の真ん中で二十四節季のなかでも重要な春分をふくむことからも、“士冠礼”にみられるように、これから成人していく始まりの月としてふさわしいといえばそうですが、その季節の巡りを主宰している形而上学的な存在の意志が“令”という文字に含まれていると考えられます。清の時代の「説文通訓定声」を著した朱駿声が「君の令を律令といい、天の令を時令という」と解説している通りです(※)。
“知迎知隨、氣可令和”
さて、“令和”に関しては中国の古典というか黄帝内経・霊枢(終始篇 第九)にも「・・・故寫者迎之、補者隨之。知迎知隨、氣可令和。(故に寫は之を迎え、補は之に隨う。迎を知り隨を知りて氣和せしむべし。)(※)」とあります。刺鍼において“補瀉迎随”とよばれる手法の出典とされているところで、「一般に写法を行うときには、迎えるという手法を用い、補法を行う場合には、随うという手法に依るものである。この迎え又は、随うという手法が、適切に行われて始めて、陰陽の気を和せしむることができるものである。(※)」と解釈されています。
そもそも終始篇の“終始”の意義として、「終始とは大宇宙の根本原理たる、陰陽両輪より成る車輛をその上に架して走りつづける軌道である。そして人は、其の軌道の上に正しく乗って行動するときに健全な生命現象を営むことができるのである。(※)」とされ、令和の意味としても、(手技を間違いなく行うことで)自然の摂理にしたがい調和すると解釈できます。繰り返しになりますが、“令”は号令や指令の“令”でもありますが、中国哲学的には、あくまでその主語は自然を主宰する存在であるということです。
“口”+“令”=命
因みに、以前にも本稿に書きましたが、“命”という文字は“口”と“令”からなりますが、この「口」は誰の口かというと、周易・説卦伝に“神なるものは万物に妙にして言を為すものなり”とあり、造物者とも神ともよばれる存在ということになります。黄帝内経(霊枢 天年第五十四)には、人の始まりについて「血氣已に和し、営衛已に通じ、五臓已に成る。神氣心に舎(やど)し、魂魄畢(ことごと)く具わりて乃(すなわ)ち人と成るなり」とあり、また、「百歳、五臓皆虚し、神氣皆去り、形骸獨(ひと)り居して終わるなり」とあるように、中国哲学的には人の一生は神とのつながりの中で存在すると考えられています。ただし、“天寿”を全うするためには自然と調和した生活を営むことが必須であることが黄帝内経・素問(上古天真論篇)に記されています。
また、“天寿”を全うするための養生に関しては、飲食とそれを受け入れる“脾胃”を損なわないようにすることを基本とし、中年以降は補腎、すなわち“精”を充実させることで“氣”が充実し、そのことで“神”とのつながりが維持されるとされています。更に、高熱や痰濁によって“神”とのつながりが途切れそうなときには開竅薬とよばれるものを用いて“神”とのつながりを維持することができるとされています。
(※参考文献:柴崎保三著 鍼灸医学大系 黄帝内経素問、同 黄帝内経霊枢(雄渾社))