増え続けるアルツハイマー病
今年の5月に厚生労働省の研究班によって、認知症・軽度認知障害(MCI)の有病率に関して、団塊ジュニアが65歳以上になる2040年時点の認知症者数が約584万人、軽度認知障害の人数が約613万人となるなどの推計結果が発表されました。2022年時点での全国4地域における調査を基にした推計値で、2040年では高齢者の14.9%が認知症、15.6%が軽度認知障害になると予測しています。超高齢化が進む日本では認知症患者の割合がOECD7ヶ国の中で最も多くなっていますが、その傾向は更に続きそうです。
認知症の中でも脳内にアミロイドβが蓄積して神経細胞がダメージを受けて脳が委縮するアルツハイマー病が7割を占めています。アルツハイマー病に関しては、2022年にニューヨーク大学によるマウスの実験で、アミロイドβが脳内に蓄積する以前に、脳細胞内の“ゴミ”を分解処理するリソソームの機能不全が発生して、その結果としてアミロイドβが蓄積しており、アルツハイマー病の真の原因はアミロイドβそのものではなく脳細胞内の“ゴミ”処理システムの機能不全である可能性が高いことが発表されています。よって、アミロイドβを除去するだけではあまり意味がなく、根本的には脳細胞の機能不全を改善することが必要になってきます。
鹿茸と認知症
漢方では、脳=髄海であり、脳の健康を保ち萎縮しないようにするためには“髄”の原料ともいえる“精”を補うことが重要であり、体内に“精”を生じさせる作用のある鹿茸が用いられてきました。
2021年に長春中医薬大学などの研究チームによって、マウスを用いた動物実験で、鹿茸ポリペプチドに老化モデルマウスの学習能力と認知能力を有意に改善したとする論文が発表されています。この論文によると、鹿茸ポリペプチドを投与したマウスでは、血清中のスーパーオキシドジスムターゼ、グルタチオンペルオキシダーゼ、カタラーゼなどの抗酸化酵素の活性が増加するとともに、乳酸菌などの有用な腸内細菌を増やしたとしています。更に、ペルオキシソーム増殖剤活性化受容体α(PPARα)を活性化することで、細胞内の脂肪酸の蓄積を減少させるとともにATP産生も増加させたとし、これらの作用の結果、老化モデルマウスの認知機能が改善されたそうです(※1)。(注:PPARα:脂肪酸代謝に関わる転写因子。脂肪酸代謝異常は細胞のエネルギー産生にダメージを与え、特にエネルギー需要の大きい脳細胞においてはダメージが大きくなる。)
認知症に関してはこれまでも腸内細菌叢との関連性が示されてきましたし、過去に鹿茸を投与したパーキンソン病モデルマウスでも腸内細菌バランスの改善作用が認められたとする論文を紹介しましたが、鹿茸が腸内細菌に直接影響するのか、脳の状態を改善することで脳腸相関から腸内細菌叢を改善するのか、または別の経路で作用しているのかについては不明です。
スペルミジンと認知症
鹿茸に多く含まれるポリアミンの一種であるスペルミジンに関しても、2021年にオーストリアのグラーツ大学分子生物研究所が発表した論文(※2)によると、高齢マウスにスペルミジンを経口投与し続けた結果、スペルミジンは血脳関門を通過して脳にまで到達し、脳の海馬のニューロンを活性化したことが確かめられたほか、ヒトの食物摂取頻度と認知機能の低下に関する調査を行ったところ、食事からのスペルミジン摂取量が多いほど認知機能の低下が少なかったことがわかったそうです。
スペルミジンは細胞内で合成されるほか、ある種の腸内細菌によっても合成されます。また、食品にも含まれますが、体内のスペルミジンは加齢とともに減少していくことが知られています。スペルミジンはオートファジー機能の調節に重要な役割を持っており、そのことを通じて脳細胞の機能を“若返らせる”効果が期待できます。鹿茸の効果のすべてがスペルミジンによるものではないにせよ、古典的に知られる鹿茸の薬効を裏づけるもののひとつであるとは思います。