寅年に寄せて

“寅”の字義

今年は寅年です。十二支に用いられる漢字は、植物が生長していく様を表しています。最初の“子”は、種子の“子”でもありますが、植物がこれから生長しようとしている様を表し、次の“丑”は、土の中の種が芽や根を出すためにもがいている様を表しています。そして、今年の“寅”は甲骨文字では上向きの矢印を示しており、植物が上に向かって伸び始める様を表しています。今年こそは、コロナ禍のもやもやした状況を打ち破って社会が発展することを期待したいと思います。

虎は悪鬼を喰らう

さて、十二支の“寅”は動物では“虎”となっていますが、虎といえば、中国では古来、その猛々しさから勇者の象徴とされてきました。紀元前3~4世紀頃に記された中国の地理誌である『山海(せんがい)経(きょう)』には、“東海にある度朔山(どさくさん)という山の頂上に巨大な桃の木があり、その枝は渦を巻くように生えており、三千里もの長さがある。その枝の東北にある隙間を鬼門といい、鬼が出入りしている。この桃の木には神荼(しんと)と鬱(うつ)塁(るい)という二人の門番がおり、鬼門を出入りする悪鬼を捕まえて飼っている虎に喰らわせる。”と記されています。この故事から悪鬼は桃と虎を恐れるとされ、中国で魔除けの意味で家の玄関に桃の木の枝や桃の木で作った人形などを立てかけておく風習につながったとされるほか、虎は魔物を退治してくれる動物の象徴とみなされています。

日本では、大阪で豊臣秀吉の時代に薬種商が集められて以来、薬のまちとして知られる道(ど)修(しょう)町(まち)にある少彦名(すくなひこな)神社(じんじゃ)(祭神は日本の医薬の祖神である少彦名命と中国の医薬の祖神である神農炎帝)に笹に張り子の虎とお札をつけたもの(神虎笹守)がありますが、同神社によると江戸時代末期にコレラが流行した際(当時の記録では関東だけで10万人以上の死者が出たとされています)、薬種仲間が病除けの薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬を作り「神虎」(張子の虎)の御守と一緒に神前祈願の後、施与したことに由来するとされています。この「虎頭殺鬼雄黄圓」なる処方は虎の頭蓋骨など10種類の生薬が配合されており、当時、コレラを虎狼痢(ころり)と当て字していたこともあって、張り子の虎が用いられたと解説されています。因みに虎の骨は、現在では動物保護を目的としたワシントン条約で使用が禁止されていますが、生薬名は虎骨といって、主に袪風止痛や強筋健骨の作用があり、関節痛などに用いられてきたほか、安神定驚作用もあり、驚悸健忘などにも効くとされています。虎骨を配合することによって2,3日でコロリ(・・・)と亡くなってしまう虎狼痢(ころり)なる疫病に対する精神的ストレスを軽減させる効果はあったのではないかと思いますが、昔はコレラのような疫病はたたりや悪鬼の所業とみなされていたこともあって、悪鬼を食らうとされる虎の頭蓋骨を用いたのではないかと思います(『名医別録』には虎骨の中で頭の骨が最も効果が高いと記されています)。尚、処方名にある雄黄は硫化ヒ素を含む鉱物で、現在では殆ど用いられませんが、主に外用で皮膚化膿症などに用いられるほか、内服の場合は瘧疾や痢疾に用いられます。因みに瘧疾とは往来寒熱などを伴う難治性の熱病のことですが、瘧疾の“瘧”という字は“虎”の爪でひっかかれるという意味で、ダメージの大きい病という意味があります。

ところで、日本では江戸時代末期に流行したコレラですが、中国では少し遅れて20世紀の初頭(1902年)に中国南部でペストやコレラが大流行します。当時の記録によると棺桶の製造が間に合わないほどの死者が出たとされており、死者数は、潮州や汕頭(すわとう)周辺だけでも10万人以上にのぼったということです。この時に19世紀の半ばに雷允上という人物が創製した雷氏六神丸が良好な治療成績をおさめたことから、それ以後、中国に於いて雷氏六神丸は感染症のくすりというイメージが定着しました。

 

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