“中年以降の物忘れの改善”に遠志(おんじ)
このほど、いくつかの生薬の単味製剤について厚生労働省が製造を認可し、遠志(おんじ)に関しては「中年以降の物忘れの改善」という効能が認められました。ずいぶんと思い切った効能が認められたものですが、背景には高齢化が進む中で今後ますます増えるであろう認知症の予防効果が期待されているものと思われます。
もともと遠志に関しては、古くは “益智慧”“耳目聰明”“久服軽身不老”などの効能が神農本草経にも記され、現代中医学でも効能として“安神益智”“豁痰開竅”などが挙げられています。神経症や不眠に用いられる加味温胆湯や帰脾湯などの処方にも配合されていますが、特に加味温胆湯に関しては北里大学による研究でアルツハイマー病の発症と関係の深いアセチルコリン作動制ニューロンに対する効果(コリンからアセチルコリンを合成する酵素を増やす効果)が見いだされ、構成生薬の中でも遠志(おんじ)に強い活性が認められたことが報告されています。更に、平成11年の第50回東洋医学会では北里大学と東北大学の共同研究で、アルツハイマー病の入院患者20名に加味温胆湯の煎じ薬を投与したところ、著効2例、有効5例だったことも報告されています。その後、アセチルコリンの分解酵素であるアセチルコリンエステラーゼを阻害するドネペジル(アリセプト)と加味温胆湯を併用することで、それぞれ単独の使用例ではみられなかったほど脳血流の増加が認められたとする臨床報告もなされています。
“心”に効く麝香と羚羊角
漢方では認知症は、脳ではなく神志すなわち精神神経機能をつかさどる五臓の“心”の問題として捉えますが、一方で脳は“髄の海”であり、目や耳に栄養を供給しているところと考えられており、髄を生じる精が不足すると耳目が聡明な状態を維持できなくなると考えられています。よって、認知症に関しては“心”の状態を安定させるとともに精を充実させることがポイントとなります。
さて、加味温胆湯は長年にわたる食の不摂生や胃腸の水分代謝機能の低下から発生した痰濁が心竅を塞いで気血の運行を阻滞するために神明が不安定となって神経症や不眠症を呈するような場合に用いられ、胃腸虚弱や栄養障害などで心血が不足して不眠や動悸、健忘症状があらわれる場合には帰脾湯が用いられます。いずれの処方も不眠の改善作用がありますが、現代医学における研究では、前回もご紹介したように、ぐっすり眠ることで脳内の老廃物を浄化してアミロイドβの蓄積を防ぐことができるほか、アメリカの大学による調査でも、睡眠の質が良い人ほど脳内のアミロイドβタンパク質の蓄積が少ないこともわかっています。また、深い眠りであるノンレム睡眠時には記憶の定着(短期記憶をつかさどる海馬から前頭前皮質へ記憶が移る)が行われていることもわかっており、質の良い睡眠はアルツハイマー病の予防にもつながります。
ちなみに、どちらかというと加味温胆湯の適合するタイプの方は、不安神経症気味になりますので、そういった方の不安感や睡眠障害には、速効性という観点からは麝香製剤が良く効きます。また、認知症患者で周りの人に暴言をあびせたり、暴力をふるうといった興奮性の高い周辺症状には抑肝散がよく用いられていますが、江戸時代末期、水戸藩徳川斉昭の侍医であった本間棗軒は、抑肝散が適応する病態には羚羊角を加味して用いることが多かったそうです。羚羊角に関しては現代中医学では熱痙攣などに用いられるほか、五臓の“肝”の火(肝火)による目の充血やのぼせに応用されますが、神農本草経には精神的なストレスによる影響を緩和し“心”を安定させるほか、麝香と同じく寝ていて悪夢にうなされることがなくなるという効能が記されています。“心”の安定に関しては、どちらかというと不安感が強いタイプには麝香ですが、焦りの感情が強く興奮性が見られる場合には羚羊角の方が適しています。