“精”と“氣”と“神”

人の三奇

 漢方の考え方では、冬は“収蔵”の季節で、あまり活発にからだを動かさず栄養のあるものを摂ることが養生法とされています。たとえ健康な人であっても冬の間にからだを補うことが、活動期である春からの一年間を健康に過ごすために欠かせないという考え方であり、冬令進補と呼ばれています。また、何を補うかといえば中心となるのは精を補うことであり、滋養に富んだ食べ物や生薬では鹿茸などの“血肉有情之品”が中心となります。

 ところで、精は命門之火ともよばれる腎陽の燃料のような存在であり、精を補うことは命を補うことにつながるわけですが、清の時代の名医方論という書物には「人に三奇あり、精・氣・神は、生生の本なり。精傷(やぶ)るればもって氣を生じることなし、氣傷(やぶ)るればもって神を生ずることなし、精不足はこれを補うに味をもってす」、また同じく「精生じて氣旺じ、氣旺じて神昌(さか)える」とあり、精、氣、神の関係性をわかりやすく述べています。因みに、東洋哲学においては、“精”、“氣”、“神”の三つを“三奇”もしくは“三宝”と称し、生命の成り立ちについて欠かせないものとして捉えられています。

 この三奇の関係で、精は氣を旺じさせるというのは、精は五臓総てを滋養するので氣も旺盛になるといえばそれまでですが、理屈っぽくいえば、精を燃料に燃えている命門之火が旺盛になれば、“脾陽は腎陽をもとに発現する”とされていることから、脾も元気になって脾気も高まり、脾気が旺盛になれば五行の相生関係から肺も元気になり、氣の生成に関わる脾、肺、腎すべての機能が高まるからとなります。

 

東洋哲学の“神(しん)”

 さて、三奇のひとつである“神”についてですが、東洋哲学でいう“神”とは、黄帝内経に、黄帝の「何を神と為すか」という問いかけに対して、岐伯が「血氣已(すで)に和し、営衛已に通じ、五臓已に成る。神氣心に舎し、魂魄畢(ことごと)く具(そな)わりて乃(すなわ)ち人と成る」というくだりがあり、また、同じく黄帝内経に「神を得るものは昌(さか)え、神を失うものは亡ぶ」とあります。更に、周易(易経)説卦伝には「神なるものは万物に妙にして言を為すものなり」とあるように、生命体を生命体たらしめている形而上学的な存在、即ち、この世のものではない“何か”を指しています。このことは、世の中の総てのものを陰陽に分ける陰陽論の原典である周易(易経)に「陰陽測られず、之を神という」とあることからもうかがえます。

  更に「心は五臓六腑の大主なり、精神の宿るところ也」(黄帝内経)とされ、“神”とは五臓の心に蔵されており、人の生命現象を主催する存在であるといえます(因みにここでいう精神の精は“純粋”とか“澄みきった”といった形容詞的な意味です)。

 いずれにせよ精を補うことは肉体に対する滋養強壮作用があるだけでなく、精神をもしっかりさせることにもつながるわけです。臨床的には更年期を迎えて腎精が衰えたり、年齢にかかわらず食事の不摂生などで後天之精が不足しがちな時に精神が不安定になって鬱傾向などがみられる際に、精を補うことの意味は大きいといえます。また、“神”は生命活動を主宰するものである以上、精神が充実することは精の円滑な生成にもつながります。

 最後に、東洋哲学では宗教でいう神様に関して、周易(易経)には「形而上なる者これを道と謂い、形而下なる者これを器と謂う」とあり、道教を中心に“道(タオ)”と表現しています。また、荘子には“造物者”とあり、“造物者”は他者をもたない絶対的なものであり、論理的にはこの世の万物は“造物者”の一部でしかないという世界観を示しています。

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