秋の夜長と“もののけのたたり”

妖怪“つるべおとし”

 “秋の日は釣瓶(つるべ)落とし”といわれ、秋になると井戸の釣瓶(つるべ)が落ちていくようにあっという間に日が暮れるという意味ですが、日本では古くから“つるべおとし”または“つるべおろし”とよばれる妖怪にまつわる話が伝えられています。人が通りかかると木の上から釣瓶や鍋を落とすといったものや、木の上から急に降りてきて人に悪さをするといったものなど地方によって様々なバリエーションがあるようです。そのほかにも日本各地に様々な妖怪やもののけなどに関する伝承や民話があり、自然界において人間の理解を超えた異常現象や人に悪い影響を与えるものの存在が古くから認識されていたということだと思います。

 漢方の世界でも、今から二千年ほど前に記された神農本草経には麝香の効能として「悪気を避けさせ、幽霊やもののけのたたりを消し去るほか、人に悪い影響を及ぼす邪気を除く」といった記述が見られ、幽霊やもののけの“たたり”かどうかは別にして、邪気が人の健康状態に悪影響を及ぼすという概念がありました。この悪気や邪気とよばれるものによって気の巡りが乱れると腹痛や動悸などのほか、不安感に襲われたりやる気がなくなるといった症状がみられるとされており、麝香は邪気の影響を退けて、乱れた気の巡りを正常化することによって、からだの状態を回復させる効果があるとされています。現代の言葉で言えば精神的なストレスによって乱れた体調を元に戻す作用があるということで、このような作用を“気つけ”といいます。“気つけ”とはからだを元気にするという意味ではなく、ストレスによって乱れた気の巡りを正常な状態に戻すことをいいます。

 

睡眠中の邪気を退ける麝香

 ところで、ストレスの影響で睡眠中にも気の巡りが乱れると、昼間に動悸がしたりおなかが痛くなるよりも健康に悪影響を与えます。睡眠に関しては、入眠直後の俗に寝入りばなといわれる深い眠り(ノンレム睡眠)と浅い眠りであるレム睡眠を何度か繰り返して朝を迎えるとされていますが、ストレスをかかえていると、半覚醒状態とでもいえるレム睡眠の時に昼間の出来事や心配事が脳裏をよぎって神経が興奮して、はっと目が覚めたり目が覚めないまでもなかなか深い眠り(ノンレム睡眠)に入ることが出来なくなります。

 眠りの質という観点からは、深い眠りであるノンレム睡眠の時にのみ成長ホルモンが分泌されますので、ぐっすりと眠れない状態が続くと成長ホルモンが十分に分泌されなくなります。成長ホルモンは、人間の成長以外にも心肺機能や腎機能、免疫力、骨密度や性機能などからお肌の状態にも深く関与しているとされ、いくら十分な時間寝ているといっても、ノンレム睡眠の割合が少ないとからだの疲れがとれないばかりか、免疫をはじめホルモンバランスなどにも悪い影響を与えます。更に最近の研究によると、深い眠りであるノンレム睡眠の時に抗ストレス作用があるとして注目されているGABAと呼ばれる物質が体内で合成されることもわかっています。

 また、わるいことに寝付きが悪いのは不眠という自覚をもちやすいのですが、寝付きはよくてもぐっすりと眠れない場合は不眠という自覚を持ちにくく、本人が気付かないうちに健康を損なっていきかねません。このような時、本来の睡眠リズムに戻してぐっすり眠れるようにしてくれるのも麝香です。神農本草経には麝香の薬効として、先ほど紹介した文章に続いて「よく夢をみて飛び起きたり、あるいは寝ていて悪夢にうなされるといったことがなくなる」と記されており、現代医学の睡眠リズムに関する知見と照らし合わせて考えると、ストレスによるレム睡眠時の興奮を鎮めてノンレム睡眠に移行するように促す作用が麝香にはあると考えられます。すなわち睡眠中の気つけ作用があるわけで、睡眠リズムが正常化することで成長ホルモンの分泌が回復すれば、それだけでも健康状態や美容にとって好ましい影響が期待できます。

 秋の夜長といいますが、寝付きはよくてもぐっすり眠れない方は寝る前に麝香製剤を試されることをお勧めします。尚、夜中にトイレに起きるというケースでも老化=腎虚からくるもの以外にレム睡眠中の神経の興奮によって尿意をもよおしているというケースもありますので、そのような場合は麝香製剤でぐっすり眠れるようになればトイレにも起きなくなります。

 最後に蛇足ながら、麝香は難産に用いられることがあり、漢方の世界では難産以外では妊婦さんには禁忌とされています。

 

 

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