新しい年を迎えましたが、近年は年中無休のコンビニやスーパーなどの影響もあって、正月といっても以前ほどのおごそかな雰囲気というものが失われつつあるようです。
ところで、昔は正月を迎えると年齢も一つ増えるという数え年で年齢を言い表す習慣がありましたが、昔といっても調べてみると、明治三五年に「年齢計算ニ関スル法律」が施行されたものの、世間では依然として数え年の方が主流で、戦後の昭和二四年にも「年齢のとなえ方に関する法律」が施行され満年齢を使用することが推奨されるほどでした。つまり、昭和の中頃までは数え年で年齢を数えることは珍しいことではなく、今でもご高齢の方の中には数え年でいくつとおっしゃる方も珍しくはありません。因みに、この数え年で年齢を表す習慣があるのは、中国を始め韓国やベトナムなどの東アジア圏に限られるそうです。
数え年で年齢を数えるようになった理由として年齢の管理がしやすいからといった説もあるようですが、東洋に特有の数え方であることから、漢方というか東洋的な発想が原点にあると思います。現代のように西暦や年号では新年を迎えても数字が一つずつ増えるだけですが、中国では相当古く、殷の時代頃から干支(かんし、えと)によって時間を表す方法が採用されており、年に関しても数字ではなく干支によって表されてきました。これは十干十二支からなる六十の組み合わせからなり、甲子からはじまって乙丑、丙寅と順番に巡っていくもので、それぞれの干支には意味があるとともに、人間が大自然から受ける影響をも暗示するものとなっています(この部分を運勢的に解釈したものが四柱推命です)。
東洋的な考え方では、人間はあくまで自然界の一部であり、年齢を数える時に、人を中心にして生まれた時からの時間の長さを単純に計るのではなく、生まれてから自分が迎えた年(干支)に重点を置いて数えるのが数え年の発想の根本にあると思います。よって、新たな年を迎えることは、新しい干支が巡ってきて、昨年とは違う自然界からの影響を受けるという意味が込められていたはずです。
数え年に限らず、ここ半世紀ほどの間、知らず知らずのうちに社会の様々なところで東洋的な発想や知恵が失われ、自然を人間の都合に合わせてコントロールしていこうとする西洋的な発想が主流となってきたことは、日本人の健康にも悪影響を及ぼしていると感じます。例えば、冬の養生の要点は春に備えて“精”を蓄えることで、鹿茸のような精を生じさせてくれるものを摂ることが重要とされています。ただし、これまでは当たり前すぎてわざわざ触れるまでもないことであった、寒い時期にはからだ、特におなかを冷やさしてはいけないということが、現在では忘れ去られているように思います。
漢方薬であれ、食品であれ、その中に含まれる最も栄養の濃い部分を“精”としてからだに取り込むのは胃腸の機能(脾気)が充実していなければなりませんが、暖房のきいた部屋にいても冷たい飲み物を飲んだりすると、脾気が損なわれ、たとえ鹿茸のような高貴薬を服用したとしても十分な効果が期待できなくなります。反対に言えば、年中おなかを冷やしている人は、ノロウイルスやマイコプラズマに侵されやすくなるほか、人と同じものを食べていても“精”の取り込みに支障をきたし、若くして骨密度の低下や生殖能力の低下といった腎虚的な症状を呈することになります。このような方に対して、まず普段の生活の見直し、特にこれまでは社会常識でもあった“おなかを冷やさないで下さい”という事から指導する必要があるのが現代日本の実情です。