昨日に引き続いて京都の日本料理から、「お造り」です。中華では、広東料理の鳳城滑魚片などのほか、大連などでも生の魚がお刺身のようにして食べられています(生魚片:ションユィピェン)。また、もっと古くには「羮(あつもの)に懲りて、膾(なます)をふく」の膾(なます)とは、生の肉や魚を薄く切って、塩や酢で味付けされたものですので、古くは中華でも食べられていました。
ただし、和食に於ける「お造り」と、中華の「お造り」の決定的な違いは、意外なことに包丁にあります。片刃である和包丁、特に刺身包丁を使って魚を切るのと、中華包丁で切るのとでは断面の滑らかさが全然違って、見た目だけでなく食感や味にも影響してきます。
よく角が立つという言い方をしますが、切れ味の鋭い刺身包丁では、魚の繊維もすぱっと切れ、美しい仕上がりになりますが、重さを利用して食材を切る中華包丁では、そうはいかないそうです。よって、日本料理の「お造り」とは、新鮮な魚介類に恵まれているだけでなく、日本文化の一つとしての和包丁の存在抜きには語れない料理であるといえます。