冬令進補とジビエ
今年の冬は寒さが厳しいという予報が出ていますが、寒さが厳しくなるにつれて頻尿をうったえる方が増えてきます。寒くなるとトイレが近くなる原因としては、夏に比べて発汗量が減少するからとか、寒冷刺激が交感神経に作用して尿意を覚えやすくなるとか言われていますが、冬場は夏に比べて水分摂取量も減りますし、寒冷刺激が尿意に作用する理由についてもよくわかりません。
ただしこれは漢方の立場から言えば単純な話で、人間は恒温動物ですので、寒くなればなるほど体温を維持するための熱エネルギーが必要になります。このとき、膀胱の中に尿をためていると、これを体温に維持するためのエネルギーを消耗してしまうので、熱エネルギーに余裕のない人ほど、尿を体外に出そうとするからトイレが近くなると考えられます。
この熱エネルギーにあたるものが人体の大元の熱源である腎陽(命門之火)とよばれるもので、この腎陽が歳と共に衰えてくると尿だけでなく便までも早く体外に押し出そうとして五更瀉とよばれる早朝の下痢が続くようになることもあります。
さて、漢方における冬の養生法の基本はできるだけ寒い戸外でからだを動かさず、栄養のある食べ物を食べて活動期である春に備えるというものです。中国では“冬令進補、春天打虎”という言葉が有名で、冬はエネルギーをたくわえることが最優先で、そうすれば春になって虎をも打ち負かすことが出来るというものです。栄養のある食べ物とは、言葉をかえると“精”がつく食べ物であり、“精”は命門之火の燃料ともいうべき存在です。このような考え方はフランス料理においてジビエと呼ばれる生命力に溢れた野生の鳥や獣を冬の寒い時期に食べる習慣とも相通ずるものです。
ただし、生命力に溢れた食材、すなわち“精”のつく食べ物はそれを食べる側にもそれなりの生命力というか消化吸収力が要求されます。よって胃腸の機能面に問題のある方は、こういった食材を摂ったとしても胃腸に負担となるだけで精を補うことは難しくなります。また、既に腎陽が衰えている方も、脾陽は腎陽を元に発現するとされており、必然的に胃腸の消化吸収力も低下していますので、このような場合は胃腸の機能面を改善することも重要となります。
鹿茸と附子、肉桂の違い
さて、漢方薬の世界では腎陽を高める目的では八味地黄丸などに配合されている附子や肉桂といった散寒薬とよばれるものを用いるのが一般的ですが、これらの生薬は大熱の性をもって冷えを取り除こうとするもので、例えていうなら補助的なバーナーで衰えた命門之火の火力をカバーするような働きといえます。
これに対して鹿茸は、命門之火の燃料である“精”を生じさせる働きがあるとされており、その薬効ゆえ高貴薬とされてきた歴史があります。このような生薬は補陽薬と呼ばれ、命門之火の燃料を直接補うことで腎陽を高めるだけでなく、“精”は生命の成長、発育、生殖に直結する物質でもあり、また、髄を生じ骨の健康に関わると共に、脳は髄の海とされていることなどから不妊症やホルモンバランスの失調、骨密度の低下、認知症などでは散寒薬で腎陽を高めるよりも鹿茸のような“精”を生じさせるものの方が有用性が高いと言えます。
ところで、現代日本では三十代以下の若い人を中心に食生活の不摂生などから胃腸機能が低下している方が多く見られ、普段の食事から“精”をからだに取りこむことができない状態が続くことで、早期の老化現象が見られる人が増えています。実際に、二十代、三十代の女性の骨密度に関して同年代の人に比べて極端に低い人の割合が増えているといった農林水産省などが行った調査報告や、四十代~五十代の男性のテストステロン値が六十代以上の男性よりも少なくなっているという帝京大学の調査結果もでています。
“精”とは生命の根源物質のようなものであり、成長過程では発育や生殖に直結する物質として重要ですが、老化とは“精”が減少していく過程でもあり、若いときから十分な“精”を蓄えられない人達が歳をとっていくと“精”の不足から生じる疾患が今後ますます増えていくのは間違いなく、食事指導などともに鹿茸などで“精”を補う必要性が増してくると思われます。