肝風に震えるこころとからだ

 今年はいつまでも寒さが続き、関東では十二年ぶり、近畿では昨年に引き続いて春一番が吹かなかったそうです。春一番とは立春から春分までの間に吹く強い南寄りの風のことだそうですが、漢方で「風」といえば、自然界の気候変化を表す六気の一つとして挙げられ、病因となるときには風邪(ふうじゃ)と呼ばれます。具体的な疾患としては、文字通り風邪(かぜ)やインフルエンザ、あるいは花粉症なども風邪(ふうじゃ)によって引き起こされるとされています。更に、こういったからだの外側で吹いている風を外風と呼ぶのに対して、漢方の考え方では、からだの中でも風が吹くとされ、内風と呼ばれています。

 もちろん実際にからだの中でヒューヒューと音を立てて風が吹くわけではなく、あたかも体内で風が吹いたことによって症状が発生しているように見えることからそのように表現されています。一般的に風の特徴としては「急に発症する」「主に上半身」「火と結びつきやすい」といったものがあり、具体的には文字通り中風(中は「あたる」の意)~脳卒中のような重篤なものから、店頭でよく見かける症状としては、めまいやふらつき、まぶたがピクピクする、緊張すると手が震えてうまく字が書けない、ろれつが回らないといった疾患や症状です。この内風とよばれるものが発生する原因としては、感染症などにおける高熱によるもののほか、教科書的には肝血虚や肝腎陰虚が原因に挙げられており、その多くは肝の陰分の不足が引き金となることが多く、肝風ともよばれています。また、自律神経と関連の深い肝の状態が良くないことは、容易に精神的ストレスの影響を受けやすい状態でもあり、からだの物質的な不足のみならず肝風の背景には多かれ少なかれ精神的なストレスの存在があるように思います。

 この内風と同じようなものに加味逍遥散などが用いられる肝陽上亢と呼ばれる病証がありますが、言葉の使い方としての違いを挙げれば、肝陽上亢ではめまいやふらつきのほか、イライラやのぼせ、耳鳴りといった症状が主体で、意識障害や筋肉が痙攣するといった症状は含まれません。もっとも肝陽上亢からは容易に内風(肝風)が発生します(肝陽化風)ので、臨床上はっきりと区別しにくいのも事実です。

 さて、内風による疾患や症状には熄風薬と呼ばれるものを用い、処方としては日本では抑肝散や釣藤散などが有名です。生薬ではこれらの処方にも含まれている釣藤鈎が鎮肝熄風薬とされ、心と肝の熱を制して風を鎮めるとされるものの薬力は弱いとされています。一方、現代に於いて涼肝熄風薬に分類される羚羊角に関して、李時珍は「風を鎮めるとともに安魂の効能がある」と本草綱目に記しており、特に「魂」を蔵する肝に問題があって風を生じた場合に有効とされています。また、精神的ストレスに関しては、漢方では五志七情といって様々なタイプのストレスがありますが、肝は特に「怒」というタイプのストレスの影響を受けやすいとされています。前回も書きましたが、この「怒」というのは“奴隷の心”であって、自分でコントロールできない事に対してイライラするというタイプのストレスを指し、現代日本に於いては老若男女を問わず、最も多く見受けられるものです。このタイプのストレスを受けて肝風が発生する場合は、手が震えて文字がうまく書けないなどといったことが起こりやすいですが、ご本人の自覚としては焦りと焦りからくる思考の停滞だと思います。頭の中が真っ白になるとか、次から次へと課題が降りかかってきて仕事が手につかないとか、ケアレスミスをしてしまうような状況に陥りやすくなります。

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